新米パパの子育てエブリデイ

元高校教師が2児のパパに!小1の娘は2026年中学受験予定。サピックスに楽しく通塾中。年少の息子はレゴデュプロ三昧。日々のあれこれを書いていきます。

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LDR(陣痛分娩室)で3日間付き添った夫の記録~出産時の光景 その2

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2日目:無事に産まれてきてくれるのか不安が募る

個室に戻された時、私たちは落ち込み、泣きました。特に妻は激痛に長時間さらされていた上に、LDRから出されてしまったことで、この先無事に産めるのだろうかと大きなショックを受けていました。 しばらくの間二人とも泣いていましたが、部屋に戻ったからといって陣痛の痛みが収まるわけでもなく(収まったらさらにマズイ)、すぐに現実に戻されました。しばらくすると、再び激痛が襲ってきたからです。 部屋に帰されて約3時間後、再びLDRに戻りモニターを付けて陣痛の経過を見守ることになりました。ところが、今度もなかなか陣痛が持続しませんでした。しかも悪いことは重なり、羊水混濁 *1の疑いがあること、夜8時ごろモニター監視中の胎児の心拍が約1分途切れてしまうという事態が起きてしまいました。 羊水混濁は

  • 胎内の赤ちゃんが何らかの理由で酸素不足で苦しい

ことの可能性を示しており、その原因として

  • 心拍が止まること

が、考えられます。程度がひどい場合、非常に悪い状況です。 担当の女医さんは、慌てて酸素マスクを準備し妻に酸素を吸わせ、陣痛促進剤使用の説明をし、妻に同意書を書かせました。胎児が酸素不足にならないようにしつつ、陣痛を促し早く出産させるためです。 この時、すでに夜勤の時間帯で病院内に残っている医師や助産師の人数は減っていました。そして、担当の女医さんと助産師さんの会話で出てきた「羊水混濁」という語に恐ろしくなり、妻はパニックとなりました。 陣痛のだらだら続く強い痛みにさらされ続けながら、いつ産まれるのかわからない不安を感じているときに、担当の医療従事者の会話から「羊水混濁」という言葉が漏れ聞こえてきて追い打ちをかけられたのです。パニックになるのも無理はありませんでした。 妻は今回の出産に備えていろいろ本を読み、勉強していました。その中で、羊水混濁が原因で胎児の脳に障害が残ったりすることもすでに知っていました。まさに出産を直前に控えているデリケートな妊婦に対する配慮は欠けていたと言われてもしょうがないのではないでしょうか? ちなみに、羊水が濁っていても胎児に影響がない場合がほとんどで、重篤な症状になる確率ははるかに低いということを後で知りました。

3日目:出産にたちはだかる壁

そして、この後促進剤が効いてめでたく出産・・・とスンナリ行けばよかったのですが、またしてもそうはなりませんでした。 促進剤の使用により、激痛がさらに激しく続く中、3日目の明け方まで経過をモニターしていました。陣痛が規則的かつ強く持続するのを待っていたもののダメで、子宮口もまだ7センチメートル開いた状態でどちらも足りません。結局、午前4時ごろ、妻の疲れもピークに達しておりこれ以上は危険なので、いったん「休憩」ということになりました。 ただ、「休憩」といっても文字通り休めるわけではなく、胎児の心拍を監視するモニターは付けたまま、陣痛促進剤の効果をなくす薬を点滴することを意味します。結局、陣痛促進剤による陣痛の痛みは減っても妊婦自身の陣痛は残り痛いままなのでで妻は眠れなかったようです。ちなみに、せっかく開いてきた子宮口が閉じちゃうんじゃないかという不安もありましたが、それが閉じてしまうことはないという説明でした。 休憩できるならどうしてもっと早く教えてくれないのかとも思いましたが、妻が少しでも回復してからお産を迎えたほうがいいのは明らかでした。

この日の病棟内の様子

ここまでは入院2日目の深夜から3日目の明け方にかけての出来事ですが、妻に付き添いながら病院内の状況も壮絶なものでした この日は満月のせいか出産ラッシュでした。夜勤体制のため病院のスタッフが少ない中、早く出産が終わりそうな妊婦が優先され、自分達はほったらかしにされていました。その中には経産婦 *2さんで、短時間でさっさと産んでいく人もいれば、自分たちのようになかなか産まれずに苦しんでいる人もいました。LDR内に付添人としているとそんな周りの様子がリアルに伝わってきます。 なかなか出産に至らない妻よりも、経産婦さんやすぐに産まれそうな雰囲気の妊婦さんが優先され、妻のお産は周りの妊婦さんに次々と抜かされていきました。妻本人は本当に辛かったのではないかと思います。私はというと、激痛に苦しむ妻を励ますだけで何もできずうろたえながらLDRに取り残されていました。 たとえば、隣のLDRの妊婦さんがあと少しで産まれそうという状況で苦しんでいましたが、夜勤の助産師は一人。だから、助産師は隣につきっきりで、なかなかこちらの様子を見に来ませんでした。隣でこちらの胎児の心音が聞こえるようモニターの音量を上げて、その音もついでに聞き隣で確認しながらというような状況でした。 そのうちいくら忙しいといっても、あまりにもほったらかし過ぎじゃないのか?という疑問が湧いてきました。産まれそうな方が大変なのは、もちろん理解できますがこっちも気絶しそうな痛みに耐えながら、先が見えない不安と闘っているわけです。一言くらい声をかけてくれもいいのに・・・と思い、勢い余ってナースステーションで担当助産師に文句を言ってしまいました。(出過ぎたマネなのはわかっていますが…。)すると、その助産師も少しは思い当たる節があったのか、その後はだいぶ妻のことも気にかけてくれるようになりました。 休憩中、私も徹夜が続いて付き添って疲れているだろうということでいったんLDRから出され部屋に返されました。あとで聞くところによると、その間はその助産師がずっとマッサージをしてくれていたそうです。

院長先生登場!

つかの間の休憩後の午前8時、その日休みのはずの院長先生がやってきて、今後の見通しについて説明を行いました。院長先生が言うには、再度促進剤を点滴して出産させるとのことで、お昼ごろには産まれるから大丈夫ということでした。数字に直すと、確率「99%大丈夫だ」という力強い言葉が聞けて、まだ疑念は残るものの少しほっとしました。 お産がこんなに難航しているのに、本当にそんなにあっけなく産まれるものなのか、驚くと同時に半信半疑でした。ちなみに帝王切開をやったらどうなのか聞いたところ、その準備にスタッフを集めるのに時間がかかること、帝王切開にもリスクはあるということで、促進剤点滴で取り出す方針とのことでした。 すでに妻にはこの説明がされており、承諾済み。私も病院を信頼して任せようという気になりました。 その後、すぐに担当の助産師さんがやってきました。助産師はシフトで交替していきますが、この日の助産師さんは「当たり」でした。

スピリチュアルな助産師さん

この助産師さんが来たのは朝8時30分ころ。 まず最初に、

出産が進まずいろいろ大変なこともあって、妊婦の心と身体がバラバラだったのではないか

と指摘されました。特に、深夜時間帯ほったらかしにされていたときは、病院に対する信頼がなくなっていたとはいえ、確かにそうだったかもしれません。 この助産師さんによると

赤ちゃんは自分の意志で自分が出てきたいタイミングに出てくる

ものらしい。

お腹の中にいる時からお母さんの気持ちや精神状態を察知して、お母さんが不安を感じていたりしてまだ準備が整っていないと感じると出てくるのをやめてしまう。 陣痛のときに痛いのは母親だけではなく赤ちゃんも痛い思いを経験していて、赤ちゃんも母親からの何かメッセージのようなものを感じ取りながら、ここ!というタイミングで降りて来始める。だから、赤ちゃんが出てきやすいようにこっちでいろいろ準備を整えてしてあげましょう

ということでした。 本当はここに書いたよりももっとうまい言い方をしていたはずですが、よく思い出せません。とにかく、その助産師さんの話を聞いて、自然と泣けてきたのは覚えています。 その後は、この助産師さんの前向きな言葉に励まされながら、いきみ方を練習したり、子宮口が開くよういろいろな手立てをとりました。 その結果、その後3時間くらいでだいぶいい感じになってきたらしい。重苦しい空気を変え、やる気を引き出させてくれたおかげで、こんなに変わるものかと思いまし。この助産師さんがいなければ、今回の出産はどうなっていたのかと思うと本当に恐ろしい。この方には本当に感謝しています。 妻のがんばりもあって(繰り返すが妊婦は常に強い痛みを感じている)、午前11時15分くらいには、子宮口もあとちょっとというところまで開き、ようやくお産にこぎ着けそうな状態になりました。 その後、自分はいったんLDRを出され、病院関係者が最終的なお産の準備を行いました。30分ほど待たされて、ナースステーションの外で待っていた私に助産師が声をかけに来た。

○○さん、お産しましょう!

助産師はいきいきとした声で私にそう言いました。そのとき初めて、出産の最終段階でまさに赤ちゃんを取り出すことを指して「お産」というのだと知りました。「お産」を迎えるためには、実際にはその前に様々な段階があるということなのです。 LDRに戻ってみると、様相が一変していました。胎児心拍モニターや何かの装置のサイレンのような音で騒がしい中、出産態勢が整えられて、妻はカエルのようなすごい格好をさせられていました。妻はタオルを口に加えさせられ「ウーウーウーウー」という怪しげな声を出し続けていました。そして最後の陣痛の痛みと、今まさに産まれるというところでの助産師の励ましの声、医療機器の音で騒然とする中、あとは院長先生が赤ちゃんを取り出すだけという状態でした。LDR内はなぜか病院内のお偉方(看護婦長さんとか看護師長さん?)が勢揃いしていました。 そして次の瞬間、自分の目を疑うようなことが起こりました。 怪しげな医療機器は大型の掃除機のようなもので、院長先生がタイミングを見ながら赤ちゃんの頭を吸い出そうとしていたのです。ここまではいいのですが、赤ちゃんを吸い出そうとすると同時になんとベテラン助産師(深夜勤務から引き続き残ってくれていた)が突然、妻の大きなお腹に上がったのです。それは、お腹の赤ちゃんを(ムリヤリ!)押し出そうと圧力をかけるためでした。妊婦の陣痛と押し出す圧力と吸引の力が合わさって、丸い柔らかい吸盤のようなものにペタッとくっつきながら赤ちゃんが出てきました。赤ちゃんが出てくるまで5分かからなかったのではないかと思います。 後で知ったところによると、ベテラン助産師がお腹に上がったのは、クリステル胎児圧出法とかいう名前がついたちゃんとした方法で、掃除機のような医療機器を使ったのは吸引分娩というらしい。 わが娘はこうして産まれてきました。 そして、なんと出てきた次の瞬間にオギャーという産声を上げました。その声を聞くと、LDR内のそれまでの重苦しい空気が一変したと妻は言っていましたが、私も同じように感じました。妻のお腹から赤ちゃんが出てくる様子は、本当に言葉に言い表せないような感動の光景でした。 わが娘が出てくるまで、病院内で約3日間、出産まで付き添ったという体験はすごく貴重なものでした。 ちなみに妻は出産時会陰が裂けてしまったということでしたが、うまく縫合してもらい、大きなダメージなく済んだのは幸いでした。 妻の出産に付き添い、女性はこれでもかというくらい痛めつけられて、傷つけられて、へとへとに疲れて、途中もう限界という気持ちを味わいながら、子どもを産んでいるということを知りました。 かわいいわが子を産んでくれて本当にありがとう

 

 

*1:通常、出生後に排便する胎便が出てしまい、羊水が汚れてしまうこと

*2:すでに出産を経験したことのある妊婦