父親が考える 早すぎない「教育」
最近、ギフティッドとして話題になった大川翔さんや(まだ本ブログでは取り上げていませんが)矢野祥さんのことを知り、自分の娘が今0歳ということもあり、早期教育について考える機会が増えました。
そんな矢先、男の育児バイブルである「FQ JAPAN2014秋号」の特集が、父親が考える 早すぎない「教育」。
- グイグイ押し付け、詰め込むのではなく、そもそも子供が持っている力を活かして伸ばす。
- 脳だけでなく、ココロとカラダも見つめたい。
- (欧州一学力が高いフィンランドの事情として)「早期教育」などもってのほか就学前教育の目的は「慣れさせること」
- 自発性を尊重する環境づくり、自分の“やりたいこと”を追求する
といった言葉が並びます。
早期教育に対する懸念
この特集と合わせて、保坂展人さんが早期教育で「失地回復」をはかる母の危うさと題して寄稿されています。
「人生のなかで「思うようにならなかった経験」を持っている…自分の代わりに、子供に期待を託そうとする」母親が、「早期教育のプログラムに猪突猛進し(中略)自分の子どもをまるで分身のように扱い、意のままにコントロールしている姿には違和感を持ちました。」
「早期教育の広告塔となっていた何人かの「優秀児」「天才児」のその後を追跡したことがあり(中略)」、
「自分は親の期待にただ応えていただけの存在だったのではないか」
「自分で望んでやっていたわけではない勉強や知識は、自分のものではない」
と「将来を嘱望された「優秀児」たちの何人かは「嵐のような思春期」に揺れ」ていた。
保坂さんはこのように述べ、早期教育のもたらす弊害を指摘されています。
自分の経験
私はそれほど苦労せずに地元で一番の進学校(高校)に入りその後一浪して都内の大学に入学しました。
東京にやってきて驚いたのは、自分がのんびり過ごしていた小学生、中学生のころ、東京では学習内容を前倒しして早い段階からレベルの高いことを教えているところがたくさんあるということでした。
進学校に入学したとはいっても、そこでは落ちこぼれで勉強する習慣もなかったのですが、そんな世界があることを知ったら考えが少しは変わっていたのではないかと思います。
自分にとっては、早期教育の弊害というよりは、むしろ幼いころからもっといろいろ教えてもらいたかった、という気持ちの方が強かったのです。うちの親は小学校入学までいっさい字を教えないという方針でした。
大川翔さんや矢野祥さんの例をみても、早い時期から子どもにいろいろ教えること自体に問題があるとは思えません。
保坂さんが懸念しているような問題ある「早期教育」にならないように親が注意すべきなのだろうと現段階では考えています。