子供を持つというのは経済・精神・肉体・身体あらゆる力を圧倒的に持つ強者になる〈子供にとって〉ということである。強者側になった時のほうの“自制”が、人間としての馬力を問われることである。子育ての成功/失敗(つまり子供の性質)なんかより、こっち側の自制を語るべきなんだ。
— 田房永子■『なぜ親はうるさいのか』 (@tabusa) 2014年10月2日
母と祖母を殺した17歳の女の子のニュースを見て、「母がしんどい」の読者の方が「ほんのり怖いです」と教えてくれた、ネットの映画サイトのレビューを、ぼんやりと思い出した。信田先生と私でトークショーをやった「私の、息子」という映画のレビューで、その中の一文、
— 田房永子■『なぜ親はうるさいのか』 (@tabusa) 2014年10月2日
「私は人から『子育て成功したね』と誉められるけど、自分としては失敗でもいいから、一人くらい手元に置いておきたかった、というのが本音です」(大意)という一文を、なんでか分からないけど、あのニュースを見て、思い出した。
— 田房永子■『なぜ親はうるさいのか』 (@tabusa) 2014年10月2日
子育ての、失敗、成功、って、一体なんだろう。そうやって、親の目線から子供の人生の結果をジャッジすること自体が、どれだけ、悲劇的なことであるか、そっちについてもっと議論したほうがいいんじゃないだろうか。
— 田房永子■『なぜ親はうるさいのか』 (@tabusa) 2014年10月2日
私は、子育て本によくある「本が好きな子になる秘訣」とか「子供に英語を好きになってもらう方法」とか、そういうメソッドのようなものに、とても拒絶反応があり、どうして自分がそんなにこれらのものを嫌悪するのか、よく分からなかった。
— 田房永子■『なぜ親はうるさいのか』 (@tabusa) 2014年10月2日
たぶん、そこに、10年後くらいに生じる「手柄横取り感」を感じるからだと思う。子供の単なる興味やそれに伴う習性が、親側の「努力の成果」にすり替わってしまう感。を必要以上に感じているのじゃないだろうか。
— 田房永子■『なぜ親はうるさいのか』 (@tabusa) 2014年10月2日
周りの人が、何かしらの親の性質(背が高いとか良い大学出てるとか音楽が得意とか)を、子供側に見つけ、無理矢理であっても「やっぱり○○ちゃんも、音楽が上手ね」とか言ったりして、それが呪詛となって、親と同じような道に進むこととかもあるし、なんていうか、親というのはすでに手柄はあるので、
— 田房永子■『なぜ親はうるさいのか』 (@tabusa) 2014年10月2日
それ以上、子供の成長(結果)から手柄を得ようとしなくても、十分手柄は得られているので、どれだけ「普通にしているか」が、一番大切というか、だけど、圧倒的弱者を目の前にした時、それを成し遂げることが一番根性のいることなのじゃないか、と、思っている。
— 田房永子■『なぜ親はうるさいのか』 (@tabusa) 2014年10月2日